RSCC Spirit

生命科学に標準化と自動化を——
微生物研究者と企業エンジニアが目指した自動培養装置

2026.07.28

  • INTERVIEW

生命科学の実験では、条件設定や操作のわずかな違いが結果に影響し、実験の再現性を確保することが難しい。理化学研究所の木下佳昭研究員は、常々こうしたバイオ実験の再現性に課題を感じていた。そんななか出会ったのが、セイコーグループが持つ精密技術を活かし、同じ操作を正確に繰り返すFAシステムの開発を手がけてきた技術者の山田篤志だった。微生物を扱う研究者と、機械設計の技術者。一見、接点のない2人がタッグを組み、生命科学の実験を「標準化」と「自動化」によって捉え直す取り組みが始まった。その第一歩として取り組んだのが、微生物の培養を自動化する「スマートバイオリアクター」の開発である。

生命科学に標準化と自動化を——微生物研究者と企業エンジニアが目指した自動培養装置

なぜ、実験の標準化・自動化が必要なのか

「昨日と全く同じ条件で実験をしたはずなのに、今日の実験では昨日の結果が再現できなかった」

 こうした経験は、生命科学の研究者であれば、思い当たる節があるかもしれない。理化学研究所(理研)渡邉分子生理学研究室に所属する木下佳昭研究員も、生命科学の実験の曖昧さに疑問を抱いていた。木下は現在、細菌の免疫システムについて研究をしており、日常的に大腸菌などの培養を行っている。

「私たちの実験では、寒天プレートに大腸菌をまき、培養してコロニーという単一集団ができたら、細い棒でコロニーを引っかいて大腸菌を採取します。ところが、論文にはどの大きさのコロニーから採取したのか、書いてありません。生命科学の実験では、明文化されていない、勘や属人的なノウハウに大きく依存しているのです」

 多様な集団である生物を扱う上に、実験者の勘に頼っていては、再現性に乏しい結果が出てしまう。

「大学の研究室では、学生が卒業すると、その人がやっていた実験が再現できないということがよくあります。マイクロピペットで液体を注ぐ方法や、薬剤を添加するタイミングなど、無意識な操作が原因で再現できないことがあるのです」

 再現性を得るための条件検討には時間とコストもかかってしまう。実験操作の属人性を現代的に解消できないか——そのキーワードは、標準化と自動化であると、木下は考える。機械で制御し、世界中で同じ条件で実験操作できれば、再現性の問題は解消するはずである。
 また、自動化が進めば、これまで実験に費やしていた時間を、考える時間に充てることができる。「解くべき問いは何か、そのためにはどういう実験をすればいいか」という、研究の本質を考えることに時間を割くことで、学問のさらなる本質に迫ることが可能になる。

異分野との出会い、期待と戸惑い

 一方、セイコーフューチャークリエーション社の事業の一つが、精密技術を活用して製造業での自動化を支援するFA(ファクトリーオートメーション)システム事業である。新たな分野への進出を模索する中で、今後拡大が見込まれるバイオや医薬品領域に注目した。セイコーインスツル新世代研究財団(ATF)を通じて理研の渡邉分子生理学研究室を訪問した一人が、同社の山田篤志だった。

 渡邉分子生理学研究室は生体分子の1分子計測技術を得意としており、生命科学から工学まで、異分野の研究者が集まっているのが特色だ。山田が、実験の自動化を支援できないかと提案する中でたまたま話題に上がったのが、微生物の培養だった。

 培養には20時間以上かかることもあり、定期的にサンプリングをしたり、特定のタイミングで薬剤を投入したりする必要がある。そのため、実験操作が夜間に及ぶこともある。微生物培養の実験自動化が共同研究のテーマとしてあがり、微生物を扱う木下が担当として参加することになった。

 当時の印象について木下は、「時計のセイコーがなぜバイオ実験の自動化なんだろう」と驚いたという。しかし、微細部品の組み立て技術と、木下が対象にするミクロな生物の世界には大きなシナジーがあると感じたとのこと。

「工場を見学して、ミクロな世界観が見事に調和していると実感しました」

 山田も、「最初は不安7割だった」と正直に吐露する。

「私たちが普段扱う工業製品は乾いた固形物ですが、生物実験は濡れた状態で扱うという、まったくの別物です。常に変化するという生物特有の難しさもあります。ただ、対象物が微細という共通点があり、純粋に生物やDNAには興味があったので、面白そうという気持ちもありました」

お互いの第一印象は「なぜ?」「期待より不安が大きかった」

フラスコ培養の温度調整・濃度測定・薬剤投入を全自動化

 微生物培養の実験を自動化する——これをテーマに木下と山田がフランクにアイデア出しを行う中で、「デスクの上でフラスコを温められるか?」という発想が生まれた。
 微生物を培養するとき、液体の培養液をチューブやフラスコに注ぎ、そこに微生物を入れ、設定した温度で容器を撹拌して培養する。一般的な培養装置では、一定温度に保った浴槽やインキュベーターの中でチューブやフラスコを機械に固定させて揺らす。

 これに対して、山田が開発したのが、フラスコの台座にペルチェ素子を置くというものだった。

 ペルチェ素子とは、半導体に電気を流すことで発熱と冷却の両方が可能な電子部品である。ペルチェ素子の上にフラスコを固定させることで、フラスコ内の培養液を直接加熱・冷却できるようにした。一定時間ごとに温度を変更するようプログラムを組むことも可能だ。

 さらに特徴的なのが、フラスコの側面にLEDとカメラが搭載されており、大腸菌の増殖度合いを濁度としてリアルタイムに光学的に計測する。また、培養中に薬剤を自動で投入するシステムも搭載されている。これらを組み合わせると、「大腸菌が一定の濃度に達したら温度を下げて薬剤を投与する」という自動化プログラムが実現するのだ。温度や時間、測定した濃度はデータとして自動で保存されるため、手作業で記録する必要もない。

理研 - セイコー連携センター(RSCC)が第一弾として開発したバイオ実験自動化装置「ACKNOS」

理研 - セイコー連携センター(RSCC)が第一弾として開発したバイオ実験自動化装置「ACKNOS」

アイデアが実装されていく楽しみと刺激

 木下と山田は、開発した振とう機をスマートバイオリアクター「ACKNOS」と命名した。ACKNOSはAdaptive Cultivation with Knowledge-based Navigation and Observation Systemの略だ。

 スマートバイオリアクターの開発を通じて、2人はお互いの仕事の進め方に対してリスペクトを抱くようになったという。木下は、「私のフワッとしたアイデアを、山田さんはすぐに形にしてくれました。ハードウェアの開発に対するハードルが下がったのは山田さんのおかげだと思います」と、アイデアが具現化していく楽しみを感じている。

アイデアが実装されていく楽しみと刺激

 山田も、「木下さんも含め、理研の研究者の行動力とデータ解析の発想力は素晴らしいと思います。『こういうデータを取るために、こういう機械を作りたい』というアイデアを次々に出してくれるので、私たちはそれをどうハードウェアとして実現していこうか、刺激的なやり取りができています」と、新しい分野だからこその手応えを感じているようだ。

 ところで、スマートバイオリアクターは一度作って完成したら終わりではなく、"進化するプラットフォーム"を目指している。すでに、pHをリアルタイムに測定できるように他企業との共同研究が進んでいる。今後も、培養中の酸素濃度や代謝産物などもモニタリングし、データ駆動型の研究を推進していきたいと考えている。また、現在は大腸菌のみの培養に対応しているが、乳酸菌や酵母、細胞培養への展開も目指しているという。

培養の公共データベースが構築される未来へ

 培養実験の標準化・自動化が進んだ先には何があるのだろうか。木下は、培養の公共データベースの構築を目指している。

「ゲノムやタンパク質の公共データベースは世界中で共有されていますが、培養に関するデータはありません。実験条件が標準化・自動化することで、誰もがアクセスでき、同じ条件で実験を再現できるようになればいいと考えています」

 培養実験の条件を各自がゼロから考えるのではなく、公共データという"最高のレシピ"を使うというわけだ。培養データを共有・還元していくデータ駆動型研究の先駆けになりたいと、木下は考えている。

 山田も、その考え方に賛同する。

「メーカーとしては、単に装置を売って終わりではなく、継続的に価値を提供することが今後求められます。培養データが共有され、それを再現するために私たちの装置が選ばれればいいと思います。データ共有を通じて、メーカーも研究者も"ハッピー"になれるエコシステムを作りたいと考えています」

培養の公共データベースが構築される未来へ

 そのきっかけの一つとなるであろう場所が理研 - セイコー連携センター(RSCC)だ。"体験型ショールーム"としても活用することで、自動化技術のデモンストレーションを実施し、企業やアカデミアとの連携機会の創出を狙う。山田は、「RSCCという"現場"があることで、研究者が求めるものをその場で確認できるのが強みになります」と話す。木下も、「私たちが培ってきた経験やノウハウを自動化装置に落とし込み、誰でも高度な実験ができる足がかりを作ることがRSCCの使命だと思っています」と、生命科学の次世代の実験スタイルに向けた第一歩となることを目指している。

Message ~新たな連携に向けて~

木下「企業とアカデミアという異なるバックグラウンドをもつ者同士が対話をすることで新しい視点が生まれます。RSCCに気軽に見学に来ていただき、実際に装置に触れ、一緒に新しいデータ駆動型研究の未来を作っていきましょう」

山田「装置のメーカーとユーザーという関係ではなく、対等なパートナーとして標準化・自動化装置を開発し、課題解決に向けて共に挑んでいきましょう」